「やさしい世界を創りたい」
どういったいきさつで、こう思うようになったのかを初めにお伝えしたくなりました。
今の活動への動機であり、私のルーツです。
よろしければご覧になってください。
綺麗ごととはなにか?
やさしい世界って、まるで綺麗ごとのように聞こえるかもしれない。
「現実は難しいじゃん」
「無理に決まってるよ」
そんな声が聞こえてきそうだと思って、何度も躊躇した。
そもそも、なぜ「綺麗ごと」という言葉が生まれたのだろう。
詳しいことは調べていないのでわからないが、個人的にはこのように解釈している。
綺麗なことだと分かっているが、だからこそ手が届かないもののように感じて、絵空事の域から出ていないようなイメージ。
望んでも難しいこと。
それを口に出すのは馬鹿馬鹿しいこと。
夢を描くのではなく、現実を受け容れて生きるべき。
そして、その結果が、今の世界だ。
対立、批判、攻撃、保身、諍い…
どうして、綺麗なことを望んではいけないのだろう?
綺麗なことを欲することはそんなに馬鹿馬鹿しいことなのか?
欲しいものに手を伸ばすから、欲しいものが手に入るんじゃないのか?
理解されなかった生い立ち
そもそも、これまでの私の人生は、綺麗なものではなかった。
もちろん楽しいとか嬉しいとか、そんな時もあったのだけれど、精神的に一人ぼっちで人に頼ったり甘えたりすることがとても苦手だった。
助けてほしい時に、助けてくれる人がいないと感じてしまった。
苦しんでいる時に、どうしたの?って、理解を示してもらいたかったけれど叶わなくて、まるで傷口に塩を塗られるような思いの中、どうにか生き延びてきたような感覚。
10代のころから強迫性障害を抱えていて、初めはその症状が一体何を表しているのかわからず、ただただ頭の中に浮かぶ言葉に翻弄され、それを説明することも出来ず、水を出しっぱなしにしてしまったりお風呂から出ることが出来なかった。
ダメなことをしているのはよくわかっていた。
でも、どうすることも出来なかった。
「どうして、あの時、もっと寄り添ってくれなかったの?」
今なら、はっきりと言葉にできる。
「どうして理解しようとしてくれなかったの?」と。
私が一体、何をしたというのだろう。
当時は、ただただ、どうにもならない苦しみの中、責められたり怒られたりしても反撃することなく、追い込まれるしかなかった。そしてそんな自分を責めるしかできなかった。
私が悪いのだと。
よくわからないけれど、私が悪いのだろうと。
何度も消えたくなった。
わかってほしい人にわかってもらえない悲しみ。
泣いて、訴えても、受け止めてもらえない苦しみ。
悔しかった。
ある時、ネットで症状を検索してみると、ようやく私を苦しめているものの正体が明らかになる。
ホッとしたのを覚えている。私がおかしいとか、悪いのではなかったのだと。
心療内科に行って、薬を飲んだ。
副作用が酷く、しばらく様子を見たがなかなか改善しなかった。種類も変えてみたが思うようにいかなかった。
では、カウンセリングを受けようという話になったのだが、正直、この人にこの話をして良くなる気がしないと当時の私は思ってしまう。既に自分で理解していることを言われ、「そんなの、わかってるよ」と思い、がっかりしたのを覚えている。
私は、誰にも頼れないと思ってしまった。
誰も私を助けてはくれないのだと。
孤軍奮闘の日々
とは言え、私は結局消えることなく生きていたので容赦なく日々は過ぎていく。
死が怖い。不潔なものが怖い。人を殺してしまう気がして怖い。家が燃えてしまう気がして怖い。
怖いことだらけだったが、私にとってそれは日常だった。
当たり前のように恐怖が身近にあって、自由な行動を選択することが許されなかった。
ある時は、テレビで流れてくる殺人事件のニュースに自分が関与している気がして、居ても立っても居られない気持ちになったことがある。もちろん、実際は何もしていないのだが。
すれ違いざまに誰かを引っ搔いてしまう気がして、手を引っ込めながら歩いた。
家の近くにある、ため池に人を沈めてしまったのではないか?と思い込んで怖くなり、外の空気が穢れているように感じた。外に出るのが気持ち悪く、怖くなった。そのうち、玄関に近寄ることが厳しくなっていた。穢れてしまった手や身体を綺麗にするため、ひたすら洗浄する。
主に加害恐怖と不潔恐怖に疲弊し、悩まされることとなった私の青春時代だった。
20代に突入すると、仕事が始まる。
「ミスをしてはいけない」今度は、そのような声が聞こえてくる。
何度も何度も、数字を確認する日々。
間違ってしまうことへの恐怖と共に、毎日の仕事に励んでいた。
捨ててはいけない書類を捨ててしまう恐怖に駆られ、何度も書類を確認する日々。
そんなことをしていると、やるべきことが追い付かなくなる。
定時をとっくに過ぎているけれど、やるべきことをやるまでは帰れない。
個人的な事情で勝手に残業しているのだから、残業代がつかないようにして日々を乗り切る。
すると、その様子に気づいた上司から一言。
「甘えるな」
一体どういうことだろうか。
甘えることができていたら、こんなことにはなっていないはずなのに。
しんどいことを放棄して生きることができたらどれだけ楽だろう。
働き方の注意を受けるという状況は理解できても、甘えるなという言葉の意味は理解しがたく、10年以上たった今でも心に残っている。
私は迷惑をかける存在なのだと、それだけはよくわかっていた。
昔からそうだった。私は普通に生きているだけで迷惑なのだと。
誰にも理解されない気がする。
そんな孤独の中、私は目の前のことの対処に追われながら生きていた。
自分を楽にする方法を模索する
しんどい毎日を、しんどいままで過ごすことは耐えがたく、どうにかして自分を楽にする方法がないものかを考えた。
強迫性障害を治すための本を買って読んでみたり、ワークに取り組んでみたりした。
気にしないようにする方法を自分なりに編み出したり、気になってしまう法則を見つけようとした。
もともと心理学に興味を持っていたこともあり、心理カウンセラーの人が書いた本などを何冊も読んだ。
「どうして私はこんなにしんどいの?」「なにがしんどくさせているの?」「どうしたら解決するの?」
そんな風に考えることが定着していった。
今思えば、この「どうして?」が今の私を創ってくれているし、解決しようと躍起になることそのものが強迫であったとわかるのだが。当時はそんな余裕がなく、ただ必死に生き延びるすべを模索している感覚だった。
放っておけば溺れてしまうから、どうにかもがいて息継ぎをしている。
それが私の当たり前になっていたのだと思う。
そんな中、あるきっかけがあり、インナーチャイルドセラピーを受けることになった。
そこで、大きな出会いを果たすことになる。
怒りや悲しみ、絶望を知り、受け容れること
20代の後半あたりの出来事だった。
絶望に打ちひしがれて、顔を上げることもできずにうずくまっている小さな男の子と出逢ったのは。
私はその子に、声をかけることができなかった。
どうすればいいのかわからなかった。
インナーチャイルドセラピーの帰り道、すごくしんどかったのは覚えている。
なにもできなかった私は、ただただ自分の傷を持て余していたのだと思う。
ある時、私がひどく悲しんでいると、その子が現れてくれたのだ。
そこで初めてたくさん話をすることが出来た。
「お前も弱いんだな」「俺が助けてやるよ」そう言ってくれたのだ。
「ごめんね」私は、そう言うことが出来た。
なんだか少し、心が軽くなった気がした。
がむしゃらに肩ひじを張って頑張るしかなかった私なのだが、この瞬間に弱い自分を見ることができたのかもしれない。
そこからは、抑え込むことなく怒りを感じたり悲しみを味わうなど、自分の中にある「負」と呼ばれる感情と向き合い続けた。しんどいね、苦しいね、嫌だね、むかついたね。ただ、ありのままに、自分から湧き出る感情を受け止め続けた。
すると、「自分が自分であるような感覚」を得ることができてきた。
私は私のままでいていいのだと。これが、自分への信頼なのかもしれないと思った。
このあたりから、自分との信頼関係を築くことが出来ていったように思う。
こういった「手に負えないほどの怒り」を受容することによって、「誰かを傷つけてしまうのではないか?」という加害恐怖は徐々に和らいでいったように思う。感情を解放させてあげることがどれだけ大切なのかを、身をもって知ることになった。
他者と信頼関係を築くという、次なる課題へ
私は一人で生きているわけではなく、いつも周りに人がいたし、それを望んでいた。
どうせ理解されないだろうという不信感とともに、理解されたいという強い希望が共存していた。
そして、それが得られない苦しみや傷つきを知っているから、そう簡単に手を伸ばすことは出来なかった。
どこか、いつも、人と距離を置いている自分。
友達は私に悩みを打ち明けてくれるのに、私は、本当に困っていることを話せないでいた。
当たり障りのない、仕事や恋愛の悩みは話したが、これは私にとって表面的なものであったと思う。
「死にたいとか消えたいとか言ったら、困らせてしまうだけだ」
これも本当の気持ちだし、同時に「重たい自分」は受け容れてもらえないかもしれないという恐怖があったのだと思う。
本当の本当は、こういった苦しみを共有してくれる誰かが必要だったのに。
欲しいものを欲しいと表明することは、怖いことなのだ。
こういった、「受容されないかもしれない不安」は、恋愛やパートナーシップにも影響を及ぼす。
「どうせ、あなたも私を見放すんでしょう」
私の無意識は、こんなことを相手に伝えていたのだろうと思う。
口に出さなかったとしても、こういった「意識」は周りに伝わるのだろう。
私たち人間も、自然界の生き物であるから、雰囲気とか感覚とか、空気感で、なんとなく心にあるものを受け取り合いながら、影響を与え合いながら共存しているのだと思う。
きっとそういう事情で、他者と深い関係を築くことが難しかった。
しかし、自分との信頼関係を築けると、他者との関係も変化が見えてくるのである。
いわゆる「自分が変われば相手も変わる」というものに当てはまるのかもしれない。
「自分を知ること」が出来ると「自分が求めているものや困っていること」を、言語化しやすくなり、相手に自分の想いを率直に伝えやすくなるのだ。
率直に伝えるとは、つまり、本心の部分を相手にわかりやすく表現することを指している。
本心というのがポイントだ。
そういったことを学習した私は、不器用ながらも今の夫には素直に想いを打ち明けたり、相手が受け取りやすいかたちに変換して要望を伝えることができた。また、それを受け止め続けてくれた彼だからこそ、結婚に至ったのだと思っている。
「結婚はゴールではなく、スタート」という言葉はよく聞いていたが、本当にその通りだと痛感した約一年前。ここで、新たな問題点を見つけることとなる。
世間の幸せと私の幸せ
「新婚」と聞けば「今が一番楽しい時期よね」と、当たり前のように言われる。
これは、いわゆる世間一般で言われている幸せのかたちだ。
しかし、私はそうではなかったのだ。
強迫性障害を抱えながらの新婚生活は、なかなかに厳しいものになってしまった。
昔、さんざんもめてきた実家との関係だが、しつこく訴え続けたことや数々のぶつかり合いを通して、今では良き理解者となってくれている。
だがそれは、初めからそうだったわけではない。
「ぶつかり合った」から、そういう関係性を築くことが出来たのである。
やっとの思いで、理解してくれる家族との暮らしを手にしたかと思えば、結婚して環境がガラリと変わってしまったのだ。またはじめから…なのである。
生まれも育ちも同じだったとしても、みんな同じ風には大きくならない。
だから、生まれも育ちも違うから…というのは、なんだかしっくりこない表現なのだが、とにかく、「ちがう相手」との生活というのは、簡単なことではなかったのだと知ることになる。
「どうして」「なんで」そんな風に、お互いに想いをぶつけ合ってしまう。
病気のことも、病気になったことのない人はよくわからなくて当然だ。
逆に、病気になったことのない人の気持ちは私にはわかりかねる。
言うなれば、病気だろうが健康だろうが関係なく、自分以外の価値観や想いにふれた時、必ずしも受け入れることが容易いかと言えばそうではないということなのだ。
新たなすり合わせの時期が訪れることとなる。
新しい環境、新しい家族、新しい仕事、慣れない生活。
様々なことが重なって、私の強迫は再び大炎上してしまうことになる。
そんな中でも希望を失わずにいられたのは、様々な苦難を共に乗り越えてきた自分への信頼と、そんな自分を受け止め続けてくれた相手への信頼だったように思っている。
その時、私は「私の幸せ」について考えることが出来ていた。
実家で経験したすれ違い、和解、理解を示し合うこと。
これがひとつの成功体験となっていたから、諦めずに向き合い続ければ、時間の経過とともに安心できる関係性を創ることができると信じていた。
しかし、そこで「新婚は一番幸せな時」という、世間の常識が気になってしまった。
その、何の気なしに当たり前のように発せられる言葉によって、不安や迷いが起こったのである。
これを言った人に悪気がないのはわかっているし、むしろ祝福の言葉を私に贈ってくれたのだと理解しているのだが、どうにも心に引っかかるものがある。
「どうして、私は一般的に幸せと言われている時期に苦しんでいるのだろう」
「なぜ、私は世間の幸せのかたちに囚われてわざわざ悩んでいるのだろう」
そこで、常識とか世間一般とか、ふつうとか、そういったものについて考えることになったのである。
「ふつう」に苦しめられている私に気づいた瞬間
新婚生活での出来事以外にも、私がこれまで当たり前のように思い込んでいた考えに気づく。
それは、「病気である自分は人様に迷惑をかけるしかない存在だ」という、悲しい思い込みだ。
ある先生や環境との出会いによって、私は再び、人様に自分の悩みを打ち明けて共に解決を目指してもらうという希望を持つことが出来た。いろんな人が聞いてくれている場所で、長年、自分が抱え続けていた苦しみを打ち明ける機会があり、思いのほか、優しく受け止めてもらえた感覚があったのだ。
どうして、私は誰も助けてくれないと思い込んでしまったのだろう。
もう一度、誰かに、助けてほしいと声をあげてみてもいいような気がする。
そんな勇気を与えてくれたのだ。
その出来事があった後、私を救ってくれる「ある考え」がよぎった。
大炎上していた強迫性障害を持て余し、生活に支障をきたしていた時の話である。
「私がこんなに苦しいのは当たり前なのではない、しんどいことなんだ」
なぜ、今まで気づかなかったのだろう。なぜ、ガマンすることが当たり前になっていたのだろう。なぜ、ガマンしないといけないと思い込んでしまったのだろう。
「自分は、ふつうではないと思っていたから」
病気ではない人ばかりの社会で、自分は重たい存在だから、なるべく迷惑をかけないように、しんどくても周りに合わせて辛いこともガマンするべきなのだと。私がいけないのだからと思っていた。
「それは、本当なのだろうか?」
本当に、病気ではない人ばかりの社会なのだろうか?
病気ではない人は、人に迷惑をかけていないと言い切れるのだろうか?
どうして、私はこんなにも肩身の狭い想いをしているのだろう?
病気とか、病気じゃないとか、そんなに重要なのだろうか?
私は精神疾患を抱えていますと自己申告する人、自己申告せずにどうにか周りに合わせて生活を営んでいる人、しんどさはありながらも病院に行っていないから診断名がついていない人。
診断名がつかなかったとしても、しんどい想いをしている人。
そんなに大差、あるのかな?
結局は、みんな、人の心を持っているのだから、現れ方や表現の仕方は違っても、楽しい時は楽しいし、辛い時は辛いんじゃないのかな。一緒じゃないのかな。
では、なぜ、こんなにも二極化した考えが定着しているのだろう。
それによって、誰が幸せになるというのだろう。
「お前のことなんて理解できない、私は違うんだから」
「どうしてお前ばかり」「病気マウントだ」
そんなことを言って、何が生まれるというのだろう。
生まれるものは、わかり合えない悲しみや苦しみなのではないかな。
常識、一般的、ふつう…これって、なんなのだろう。
どこから生まれているのかな。
私はある考えにたどり着く。
「常識とは、この世界に生きている私たち一人ひとりが創り出している意識そのものではないか」
そして、その常識が、人の悩みをつくっているように感じたのだ。
「ならば、その常識とやらを、肩書きや立場、レッテルに関係なく、すべての人にとって生きやすいものに変革していけば、多くの人が安心して日々を送れるのではないだろうか?」
やさしい世界を創りたい
こういった経緯があり、私は「ひとりでも多くの人が自他ともの心に寄り添い、やさしい目を向けることが出来る世界」を目指すことになったのである。
理解できない苛立ち、理解されない苦しみ。希望を持つことの恐怖、葛藤。
ガマンしたり、恐怖を感じることが当たり前になっているこの世界。
しかし、世界をつくるのは他の誰でもない「私であり、あなた」なのである。
みんなとは自分なのである。
だから、私は、この活動をすることに決めた。
私は綺麗ごとの世界で生きてきたのではない。
だからこそ、綺麗ごとを望むことの必要性を感じている。
ちなみに、しんどいことが当たり前ではないと気づいた後、カウンセリング不信に陥りながらも再びカウンセリングを受けることになった。現在も、さまざまな気づきを得ながら療養している。
同時に、私の経験から生まれた葛藤、理不尽なものへの怒り、解せない事実、諦めずに手を伸ばせば得られるかもしれない理解。そういった、私の命そのものと言える活動に、情熱を燃やしているのである。
あとがき
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今後はこちらのブログにて、これまで温めてきた想いを綴っていきます。
人の心を理解しようとする試みによって得られるもの。どこから人はすれ違ってしまうのか?という私なりの解釈。どうすれば解決するのか?について、長きにわたって模索し続けてきたものを発信したいと思っています。
また、カウンセリング不信の経験や、カウンセリング講座で学んできたこと、それらをイメージしながら自身がカウンセリングを受けていくなかで知った「カウンセリングを受けるコツ」をお伝えすることで、必要な人に必要なサービスが行き渡るようにお手伝いしたいです。
これまでと同様に、心の傷を抱えるかたへのケアはとても大事です。
同時に、苦しみが絡まり合ってこじれてしまう前に、差し伸べられたサポートの手へ早めにたどり着くことが出来れば、しんどい期間を少なくすることができると信じています。
精神科医や心理士、カウンセラーなどの心理職の方々が、今、存在している心の傷を手当てしてくれています。自身も心理カウンセラーの教育を受けてきたので、お悩みをお聴きすることが可能です。
そのうえで、私にできることを考えた時、「予防」や「橋渡し」に力を入れていくという方針になりました。
どうぞよろしくお願いします。

